メッセージ

これからの静岡、日本に対してどのような想いを持っていらっしゃいますか。

今の状況がこれからも続く、もしくは一層悪くなると思われる方が多くいても、このままでも大丈夫、と思える方は少ないのではないでしょうか?

これまで私は大学教員として多くの若者と接してきましたが、本来は未来に対して楽観的であるはずの若者が非常に不安な顔をしていることを心配してきました。
大きな夢を持てないばかりか、卒業後の直近の進路も決まらない、そんな状況で若者には更に増税や電力料金の引き上げ等、厳しい未来が待っています。

そして更に大変なのはより小さな子供たちです。原発事故による放射能の影響を最もうけやすく、この瞬間も積み上がる国債の負担をより減少する人口で背負わなければなりません。

本来わたしたちの国は、「日の出ずる国」、「希望の国」でした。努力すれば必ず明日は良くなる、と信じた私達の先輩が築き上げた素晴らしい社会でした。

その社会が、誰も責任を取らず、将来にツケを回し、人災ともいえる政治の停滞によって、先の見えない不安が続いています。

いま日本に、政治家に求められているのは自立心と創造力です。
最初から地盤、カバン、看板という三バンに頼らずとも、自立心、創造力、楽観性の三つを携えた志士が集まれば必ず未来に希望を取り戻せる、そう信じて今後も邁進します。
 

国会議員になったきっかけ

 


以下 GQ JAPANより引用
父は元三島市長で、名前は「政就」。なるべくして政治家になった感がある。

「子どものころから地域の人の思いに応えて、人生をかけて戦う父の姿を見ていて、政治の世界は身近にありました。反面、選挙になると人の裏切りにあったり、家族が巻き込まれて辛い思いをすることも。
小さいころは、父のポスターが貼ってあるとからかわれましたし、頑張って受験に通っても『市長の息子だから合格した』と陰口を叩かれたりした。

私が立候補したいという話をしたら、父から『努力が報われない世界だから』と諭されました」

大学卒業後は、「さまざまなフィールドを見ることができそう」という理由で丸紅に就職したが、政治への思いが強くなりアメリカの大学院に留学。
その後、法律事務所や議員の政策スタッフ、東京大学大学院の特任助教などとして働いてきた。
「政治家になるつもりはなかったんです。でも36歳で子どもが生まれて、将来への責任を感じたとき、政治家として明るい未来を築きたいと思ったんです」

選挙活動を始めたのは、2010年11月。あえて父の地盤ではない静岡1区を選んだ。当時、地元のみんなの党党員は3人。イチからのスタートだった。
「最初はガスも通ってない事務所で、じゅうたんの上に布団を敷いて寝て、段ボール箱の上に板を置いて机代わりにしていました。

ビラを配ったり、旗を持って街頭演説をしたり。でも全然手応えがなく、砂漠に水をまいているような気分でした」
それでも昨年の総選挙前には少しずつ手応えを感じ始めていた。厳しい選挙戦の結果、小選挙区で4位だったものの、比例復活で辛くも議席を獲得した。

「当確が出たのは、午前1時。最後の最後に『導かれた』と思いました。小選挙区は残念でしたが、政党票より個人票が多かったのはうれしかった。神輿に乗るのは楽だけど、私の場合、自分で木を切って、組み立てて、担いで、最後にちょっとだけ乗せてもらった感じ(笑)。でも党員も約100人に増えましたし、2年間の努力は無駄じゃなかったんです」

軍事、エネルギー、食料、経済なども含めた総合安全保障がライフワーク。
「この不安定な時代にいかにして将来の安全を獲得するかが私のテーマです。そして日本を立て直すことができたら、アジア全体が連携できるような議会を作り、各国の可能性をもっと引き出すことができればいいと思っています」
小池家の男子は、代々名前に“政”が入るそう。彼の2人の息子も同じだ「でも彼らには政治家になってほしくないなあ(笑)」

 

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